2021年西念寺春季永代経 法話 光林忠明氏(坂東市西念寺)

阿弥陀如来の願い

要するに、人間が本当に澄んだ世界を思い起こすということは難しい。そのために、いろんな表現が取られます。よくあるのが、綺麗な池があって、澄んだ水で、そこには綺麗な花も咲いて、鳥も快い声を出して、風が快く吹いて、木の葉っぱの揺れる音も、その音を聞いただけで、いわゆる雑念が皆、払われてしまう。輝いている。そういう世界を表現したわけですね。その表現を本当に実感できたら、その表現を全部、取っ払いなさい、という教えがあります。もう一つは、例えば、綺麗な夕陽が西の空に沈む。僕も夕陽は好きですけれども、その夕陽を見て、心が穏やかに明るくなったら、眼を閉じなさい。眼を閉じても、その夕陽を見て感じた素晴らしい輝きの世界を、今度は夕陽を見なくても思い起こすようなことが出来るようにしなさいと。いろんな段階を踏んで教えておられるわけです。私たちは何かいろんな手段を使わないと本当のことが分かりません。それが、お経に説かれているわけです。浄土というのも普通に言えば、清浄な、清く澄んだ、清浄な国土、清浄な世界、皆、人間も輝いて生きている。肌の色もいろいろあるけれども、皆、それぞれに輝いて生きている。そういう世界を願ってほしい。そういう世界を目指して生きて来てほしいというのが、阿弥陀如来の願いです。阿弥陀さんの願いです。その願いに「なるほどな」「そうか」と頷いた時に言う言葉が「南無阿弥陀仏」、「阿弥陀如来を大切に受け取ります」ということなんです。

浄土真宗の「人生観」「供養」

「南無阿弥陀仏」というのは、「死んだ人、成仏して」じゃなく、自分が成仏すること。仏もね、「とうとう成仏しちゃったか」なんて言うけど、「仏様に成る」ことですから、悟りを開くことが「成仏」です。人間の目標は何ですか。成仏することです。死ぬことじゃない。成仏するような人生を歩む。それを、「私たちは浄土に生まれるような人生を歩もう」ということが願われている。私たちの人生は、どう足掻いても努力しても、本当に悟りを開けないんです。最後の最後まで、「ああでもない、こうでもない」と言って過ごして、息を引き取ったけれども、それは、この世の修行を終わって、ついに阿弥陀如来の世界、浄土に迎え取られて行った、というふうに受け取るわけです。ですから、私たちの人生も悟りの世界に向かって生きている、今、その人生を歩んでいるというふうに受け取るのが「浄土真宗の人生観」です。ですから、亡くなった人は先に浄土に還って、その清浄な世界の仏様に成って、逆に私たちを見つめていてくださっている。その眼に背かないように生きて行こう、というふうに思いを改める。これが浄土真宗が考える「供養」です。ですから、阿弥陀さんのこともそうですけれども、先立って逝かれた人も本当に素晴らしい尊い仏様になった、ということを讃える。これが「供養」なんです。お供え上げるのが供養じゃないんです。あれは、感謝の心を何か添えて、感謝の心を顕すだけのものでございまして、「何か上げとこか」なんてのは、これは供養にならないですね。だから、自分の命も尊い、先立って逝った方も尊い。本当の仏様に成ってる。自分もそういう尊い者として生きて行く。そういう人生を歩もうではないかというのが、私たちの「浄土真宗の生き方」です。

おわりに

何かこの頃、いろんな魔物が獲り付いたとか。妖怪やらお化けやらを見たとか。今、妖怪ばやりです。「鬼滅の刃」も妖怪みたいなものですね。妖怪なんて信じますか。明治に「妖怪学」という学問が出来たんです。それを樹立したのが、あの東洋大学を設立した井上円了という人です。研究して、全国を廻って「何故、妖怪というものに振り回されているんだ」ということを説き廻って行ったんです。この井上円了という人は、浄土真宗の坊さん、お寺の住職でした。その方は元々は哲学者だったのですが、哲学だけでは、妖怪に悩み苦しむ人々を救い取る、目覚めさすことは出来ない。妖怪に苦しんでいる、魔が付いたとか、そういうことで苦しんでいる人をいかにそこから解放するかいうことで、学問として大成して、それを説いて行かれました。これは大学の授業でもあったようで、そういうことから目覚めさすというような内容になっていたと思います。私たち、真宗門徒と言えども、妖怪とかお化けとか、或いは迷信、俗信といった類に惑わされないように気をつけないといけませんね。(完)

この文章は、2021年4月18日に西念寺の春季永代経でご法話いただいた内容を、西念寺のおしらせ編集委員が、独自に抜粋および編集したものです。そのため、掲載された内容等について、御講師へ直接問い合わせることはご遠慮くださいますようお願いいたします。<西念寺より>

<編集後記>

今春(2021年)の永代経・午前の部)の法話を担当されたのは西念寺の前住職でしたが、ご自身の寺の永代経や報恩講では滅多にお話されることはありませんでしたので、今回は前住職から久しぶりにお話を伺う貴重な機会となりました。

ご法話の内容は、お釈迦様の若き日の「苦悩」から「出家」「悟り」「布教」に至る仏教の成り立ちの物語、また浄土真宗の「供養」「人生観」「生き方」等々、仏教の歴史や教え、真宗門徒として心得ておくべき基本的な事柄を丁寧に分かり易く説いて頂きました。

通常より短い時間枠での法話でしたが、お釈迦様の「悟り」、何を悟られたのか、また、何が亡くなられた方に対する真の「供養」になるのかなど、仏教の原点、真宗の考え方について改めて認識を深めさせて頂いたように思います。 (編集委員会)