2022年西念寺夏季永代経 法話 本多雅人氏(葛飾区蓮光寺)

以下は、2021年4月18日に西念寺の春季永代経でご法話いただいた内容を、西念寺のおしらせ編集委員が、独自に抜粋および編集したものです。そのため、掲載された内容等について、御講師へ直接問い合わせることはご遠慮くださいますようお願いいたします。<西念寺より>

西念寺春季永代経で法話される本多雅人氏

はじめに

これから法話をさせて頂きますが、今、法話をしようとしているこの時間に、ウクライナでは人が虐殺されているんだなと思うと、何か心が晴れないですね。ウクライナの侵略があって、直ぐ募金活動を始めまして、結構募金が集まったんですけれども、今回、募金活動してて、これでいいのかなという気持ちになるんですね。やっぱり人間って戦争やるんですね。戦争してしまうと、もう歯止めが効きませんから、どんな殺され方をしようとも、殺してる方は何とも思っていないんですよ。何であんな虐殺をするんだと思うけれども、人間というものは、やはり戦争を始めたら、ああなってしまう。そういうことを考えると、本当に人間を深く見つめる「南無阿弥陀仏」の教えというのは非常に大事じゃないかなと思います。

本願の祈り

僕はやっぱり祈らざるを得ないですね。「本当に戦争はもう止めてください」と祈らざるを得ないんだけれども、よく浄土真宗の門徒さんは、「祈らない」と言うか、「お願い事をしない」と言われますね。それはやはり、自分の都合によって神仏を利用していったとしても、それは根本的に解決にならないから、いろんな苦悩とかどうしようもない問題を引き受けていくような、広い世界を与えるのが阿弥陀さんだということです。だから、祈っちゃいけないとか、頼っちゃいけないんじゃなくて、頼って迷っている私の上に、それを超えた私の祈りよりもっと深い「本願の祈り」というのがあるんだと。この祈りというのは願いということです。私たちが願う前にもっと深い願いがある。私自身が教えから願われているということです。結局、「本願の祈り」というのは、一人ひとりの「存在の尊さ」に目覚めてくださいということ。仏教の教えというのは、目覚める教え、自分が開かれていく教えですね。ちょっと難しく聞こえますが、本当に仏教が言っている根本的な「存在の尊さ」に目覚めるということが如何に大切かということを今日は共有していきたいと思うんで。