2022年西念寺夏季永代経 法話 本多雅人氏(葛飾区蓮光寺)

「真実」のはたらき

自我を超えた世界というのは、別に浄土真宗という名前を付けなくても、真実のはたらき、阿弥陀さんのはたらきというのは、どこにでもやっぱりお出ましくださるんだなと思ったことがあります。ALS(筋萎縮性側索硬化症)、これは意識ははっきりしているものの、運動神経がそこなわれ筋肉が徐々にやせて力が入りにくくなっていく病気ですね。

僕はNHKを見た何人かの人に話を聞いて、ビックリしましたけれども、東大生がね、ALSの患者さんにこういう質問するんですよ。「あなたはそんな病気になって、生きてる意味があるの」と。ビックリするけれども、東大生の言ってる内容は、僕の中にもあるんですよ、やっぱり。「あんなになっちゃっても、生きてる意味はあるのかな」なんて思うことあるでしょう。それを質問したってのは、ちょっと僕はビックリしましたけど。その時の患者さんの答えに東大生は黙ってしまったそうです。東大生ではなくて他の人でも良かったんですけれども、やっぱり学力が一番高い東大生ですよ。そして、成功して人から認められて、評価される自分が意味がある、と思っている。そういう人達の質問に対する答えがこれです。『意味があるとか、ないということは、人間の尺度からみた “いのち”でしょう』。

人間の尺度って分かりますね。自我分別です。ということは、この方は自我分別を超えた真実がはたらく世界を持ってるってことです。もっと言うと、阿弥陀さんが私たちにはたらきかける、呼び掛ける世界を持ってる。持ってなきゃ、自我だけで生きてたら、こんなことは言いませんよ。

『意味があるとか、ないということは、人間の尺度からみた “いのち”でしょう。だから、こうして存在することの前には、そういうことは大した問題ではないのです』

こういう真実を語ってくれる人がいると有難いですよね。

この人はALSだけれども、その病気のまんまに生きている。「あらゆる “いのち”と繋がっている。支えられて生きている。その存在は尊いんだ」と思わなければ、こういうことは言えないでしょう。だから、「真実のはたらき」というのは、どこにでもはたらいているんですね。