世界遺産・白川郷と飛騨高山を巡る旅
2025年10月17〜18日 茨城の西念寺から岐阜の西念寺を訪ねてきました
<文章・イラスト:O.T.、写真:M.K.、住職>

飛騨高山の古い町並みの中に、高山別院を中心として中世の時代から脈々と続く、浄土真宗の深い信仰の歴史がありました。室町時代、滋賀・北陸に及んだの布教の影響もあり、白川郷、高山あたりは浄土真宗の盛んな土地柄です。今回の御旧跡旅行には、ご住職の引率のもと8名の門徒が参加し、高山市内の「西念寺」の宿坊への宿泊も体験させていただき、飛騨地方の魅力にたっぷりと触れた旅となりました。
高山別院(光曜山照蓮寺 )

高山市の古い町並みの散策の後に立ち寄ったのは、高山の人々から「ごぼうさま」と呼ばれている高山別院で、立派な本堂の中を参拝しました。また寺宝館では、照蓮寺の歴史的な宝物と「念仏の教え」が広まった歴史が展示され、隣には「中村久子展」が併設されていました。

久子さんは浄土真宗と出遇い、「歎異抄」の中に生きる道を見つけ、多くの言葉を書き残しました。自身の煩悩の出どころとして嘆き悲しんできた「無手足」という事実を、人生の転機を経て、「我が身をあるがままに受け入れ、弥陀の本願を信じて人生の苦しみを引き受けてこそ救われる」と見出すに至ったのです。そしてついには、「私を救ってくれたのは手足無きこの身体であった。手足がないことが有難いのです」とまで言い切る境地に達しました。
障がいの事実を身に受けて生きた久子さんの人生は、障がい者、健常者を問わず、「生まれた意味と生きる意味」を問いかけているようで、私達も人生とは何かを考えさせられ、目頭が熱くなりました。

ミニ解説
<高山別院の歴史>
高山別院の歴史は鎌倉時代、親鸞聖人の弟子・が白川郷に道場を構えたことに始まります。後に「照蓮寺」となり、戦国大名の庇護を受けて現在の高山市へと移転しました。
江戸時代に飛騨が幕府直轄の「天領」となった後も大切に守られ、東本願寺直轄の「高山御坊」として広く信仰を集めるようになります。度重なる火災に見舞われながら、そのたびに地元の人々の手で再建されてきたこの寺は、今もなお飛騨門徒の心のよりどころとして親しまれています。
<中村久子さん(1897〜1967)とは>
幼少期に病で両手足を失い、「だるま娘」として見世物小屋で働くという過酷な境遇にありながら、独学で口を使って文字を書き、裁縫や編み物までこなす驚異的な技術を習得しました。
1937年には、来日したヘレン・ケラー氏との対面を果たします。彼女の生き様に深く感銘を受けたヘレン氏は、中村氏を「私より不幸な、そして私より偉大な人」と最大級の言葉で称えました。




