2026年 西念寺永代経 法話 本多雅人氏(葛飾区蓮光寺)
「お互い愚かだ」と認め合える社会へ
戦争をすることは簡単にできるらしいけれど、平和を主張するのは難しいらしい。平和というのは人によって基準が違うからです。「皆、平和になりましょう」と言っても、民族の歴史によって平和の捉え方が違う。そうすると、やっぱり争いの方に行ってしまうんですね。
そのもっと根底にある、「人間は煩悩の身を抱えているんだ」と気付くことが、すごく大事なんです。悪人であり、凡夫であり、愚者である。そういう自覚こそが、実はあらゆる問題を解決していく根本にあります。ここを忘れて「どっちが善い、私が正義だ」と言っても、人間の世界では何も解決できない。

罪悪深重の凡夫
煩悩の身であるということは、必ず罪を犯す身なんです。同時に、罪の身を生きているんです。凡夫という言葉を使う時に「煩悩具足の凡夫」とよく言いますが、これと同じ意味なのが「罪悪深重の凡夫」です。
「罪」です。悪いことをした場合は分かりやすいですが、私たちは煩悩を持って生きている。仏法では、そのこと自体がもう罪なんですね。自我分別を持って、自分の物差しで「あれが善い、これが悪い」「あいつはどうだ、こうだ」と、自分のことは見ないで他人ばかり裁いている。それが僕たちの紛まぎれもない姿なんですよ。
そんな私たちを「救わずにおれん」といってはたらきかけるのが、「南無阿弥陀仏」なんです。だから、この自覚がすごく大事なんです


